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医療の挑戦者たち 27

腹腔鏡下手術

外科の常識をくつがえし、
腹腔鏡下手術の道を開いた外科医の自由な発想。

ゲオルグ・ケリング

「適切、確実な手術をするには、まず手術する部位を充分な視野にとらえること」。これは外科手術の鉄則だ。そのために、ほんの二〇数年前までの外科では、大きく開胸あるいは開腹した手術が当然とされていた。しかし、今から一〇〇年以上前に、小さな切開を加えるだけで手術する方法を考えた外科医がいた。

一九〇一年、ドイツ・ドレスデンの消化器外科医、ゲオルグ・ケリングは、腹部を大きく切開することなく臓器を観察する画期的な手技を考案して実施、その成績を翌年の学会で報告した。彼は動物の腹腔に空気を送り込み、腹が膨らむことで得られる空間に「腹腔鏡」と名付けた細い管状の器械を差し込んだ。そして器械に目をあてると、腹腔内部の胃や腸など多くの臓器を観察できたのだ。

彼は腹腔鏡の主な利点として、治療期間の短縮、薬剤や包帯などにかかる費用の削減など、経済的にも患者の負担を軽減すること、そして何よりも重要なこととして、当時よく行われていた、検査だけが目的の開腹手術を回避できることを強調している。

一九四五年二月、第二次世界大戦下のドレスデンの町は連合軍の猛烈な空爆で焦土と化し、ケリングの家も焼失した。その後、彼の姿を見た者はいない。

当初、腹腔鏡下手術は外科の異端と見られることも多かったが、現在では技術の進歩で、開腹手術と変わらない確実さと精細さが得られており、腹腔鏡を含む内視鏡下手術の多くが、治療の第一選択とされている。

固定観念に執着せず、自由な発想で外科手術を見直したケリング。その視点と姿勢は、現代の医療にも大きな示唆を与えている。

(監修/山川達郎 先生 帝京大学医学部 名誉教授)

オルグ・ケリング

異端の外科医が発想した腹腔鏡下手術

「外科的ではない」考え方をした外科医

19世紀後期に至るまで、外科手術の鉄則は、大きく切開し、充分な視野のもとで、安全かつ適確な手術をすること、これが、真の外科医であるという認識があった。

このような風潮の中で、充分な視野を確保しながらも、腹壁の切開は小さくとどめて、患者の負担を軽減しようという「外科的ではない」考え方で、腹腔鏡下手術を創始したゲオルグ・ケリング。彼は、当時としては、異端の外科医であったといえよう。

ゲオルグ・ケリング
(Georg Kelling,1866-1945)

体内臓器観察のはじまり

体内臓器を観察して治療するという発想は、10世紀中期に、自然光を鏡で反射させた光を用いて、体内臓器である子宮頸部を観察したアルブカシムの試みにはじまるとされている。しかし1805年、ボッチーニがロウソクの光を凹面鏡で反射させる「導光器」を用いて、膀胱(ぼうこう)、直腸の内腔を観察するまでの間、ほとんど進歩は見られなかった。
ボッチーニの導光器(Bush RB, et al.: UrologyⅢ, 1, 119-123, 1974)
ボッチーニの導光器
(Bush RB, et al.: UrologyⅢ,
1, 119-123, 1974)

アルブカシム
(Abul-Qasim Khalaf Ibn Abbas
Al Zahrawi, 936 -1009)
Alsaha-Ravius, Albucasim,
Albucasis of Cordoba等の
呼称がある。イスラム支配下の
アンダルシア(現:スペイン)に
生まれたアラビア人外科医。

フィリップ・ボッチーニ
(Philipp Bozzini, 1773-1809)
イタリア系ドイツ人医師。

実用的な内視鏡の発明

1901年、ニッツェが集光用レンズと反射鏡を利用した膀胱鏡を開発したことで、体腔内を観察する試みはにわかに注目を浴びるようになった。

そして、ケリングもまたニッツェの内視鏡に注目した一人であった。

屈曲した先端部に水冷式白熱白金線光源を内蔵するニッツェの膀胱鏡(1877年)

屈曲した先端部に水冷式白熱白金線光源

を内蔵するニッツェの膀胱鏡(1877年)

先端部に装着した白金フィラメントに電流を通じて
得られる白熱光を、筒部に装着した反射鏡で集光し、
レンズを内蔵する筒状の管により膀胱内を観察する
(反射鏡は先端部に内蔵されている)。
(Mouton WG: World J. Surg.
22, 1256-1258, 1998)

マクシミリアン・ニッツェ

(Maximilian Nitze, 1848-1906)
ドイツの泌尿器科医。
管腔臓器の内部を観察する
試みを膀胱で行い、
これを本格的な内視鏡術式
として完成させた。

空気を注入してできる腹腔内の空間に内視鏡を挿入する。
腹腔鏡の発想とその先にあった目的。

口からチューブを入れて胃に空気を入れる

ニッツェの内視鏡に目をつけ、それを腹腔鏡として活用することを考えたのがケリングだ。彼は1866年、エンジニアの長男としてドイツ東部ザクセン州の古都、ドレスデンに生まれた。やがて15世紀初頭に創設された名門、ライプツィッヒ大学の医学部を卒業、1890年に「胃容積の測定について」という論文により学位を授与されている。これは胃壁の硬化をともなう病気の診断法として考えられたものであった。彼はこの研究のために、ヒトの死体や動物の口からチューブを入れて空気を送り込み、胃を膨らませて容積を測定した。そしてこの実験が、後の腹腔鏡下手術の開発へとつながることになる。

胃に針を刺して空気を送り込む発想とその狙い

1901年、ケリングは、胃出血を治療するために、出血する胃内に空気を送り込んで圧力をかければ、血管が圧迫され、出血が改善されるのではないかという仮説をたてた。そして、まず胃内に高い圧力を加えるため、腹部の皮膚面から胃に針を刺し、空気を送る気腹装置を考案した。また同時に、胃内の状態を観察するため、ニッツェの膀胱鏡を改良した食道鏡と、それを挿入するための曲げ伸ばし可能な外套(がいとう)を考案している。
ケリングが開発した食道鏡

ケリングが開発した食道鏡

曲げ伸ばし可能な外套は、
硬い内視鏡を挿入する際の喉頭、
咽喉、食道、胃壁などの損傷を予防し、
観察範囲を拡大する効果が期待された。
(Litynski GS : JSLS. 83-85, 1997)

ケリングの気腹装置

ケリングの気腹装置

皮膚面から胃に針を刺し送気する機器。
胃内圧は圧力計に表示される。
(Hatzinger M:Der Urologe.
7, 868-870, 2006)

検査のためだけの開腹手術を避けたい

当初に想定した、胃の加圧によって止血できるという仮説は証明できなかったが、ケリングには、もうひとつ、すばらしいアイデアがあった。それは検査のための開腹手術を避ける方法だ。当時は、画像による診断法が乏しいため、手術するにしても、臓器のどの部分が悪いのか、手術が可能な症例なのかなどの情報が得られず、診断を確定するだけのために、試験的に開腹して臓器の状態を観察することが一般的に行われていた。

彼のアイデアは、これまでの実験で胃を加圧していた気腹装置を用いて腹腔に空気を送り込み、得られる空間に、腹腔用に工夫した内視鏡(腹腔鏡)を挿入すれば、病変の発見だけでなく、臓器の病的状態を観察することができ、同時に、検査のための開腹手術を回避できるのではないかというものであった。

治療を目的とした手術でも開腹を避けられる場合が

そして病気の状態によっては、治療を目的とした手術でさえも、開腹することなく、腹にあけた小さい穴を通して、器具を挿入して手術することで、患者の身体的負担を軽減できるようになるかもしれない。彼は動物実験を繰り返し、この手術の概要を1902年のドイツ外科学会で報告した。その時、「Coelioscopy(腹腔鏡)」という名称が使われている。

腹腔鏡は患者の経済的負担も小さくする

その後の学会で、彼は腹腔鏡を使う経済的な利点をこのように強調している。 「この手術法の最大の利点は、患者の入院期間の短縮、包帯の量、薬剤量の節減により、患者が払う経済的負担を軽減することにある」。

日本を含む世界中で腹腔鏡下手術が行われるようになった
きっかけはテレビ技術の進歩

日本で初めて腹腔鏡下胆のう摘出術を行った山川達郎

しかし、ケリングの時代を過ぎても、現在のように腹腔内の病変部をテレビ画面に映し出すことができなかった時代の内視鏡下手術は、手技が極めて煩雑であり、それを試みた者は、一部の婦人科医あるいは数人の外科医にすぎなかった。

1970年、フランスの産婦人科医セムが、腹腔鏡下に、専門領域を越えて虫垂切除を行ったことを知り、当時アメリカに留学していた消化器外科医・山川達郎は、上司のバーシーと共に、腹腔鏡下手術の妥当性を証明すべく実験を行った。また彼は、さらに数年後、ドイツのクラッセンのもとで、胆のうに針を刺して胆石溶解剤を注入する実験を行っているが、当時は腹腔鏡に直接目をあてながら注入器具も操作しなければならず、その手技は極めて煩雑で、安全性にも疑問が払拭できなかったため、臨床的には許されない手術と判断して中断してしまったと述懐している。

1986年に固体撮像素子であるCCDが開発されると、あらゆるテレビカメラが小型化されるようになった。そして1988年、内視鏡像をテレビ画面上に拡大描出する技術が開発され、一気に外科学の常識を塗り替える変革が始まった。1988年から1989年にかけて、フランスのデュボア、ペリサート、アメリカのマッカーナン、レディック、ズッカーや前述したバーシーらのグループが、腹腔鏡下胆のう摘出術に相次いで成功。腹腔鏡下手術は、アジアを含む世界に一気に広がり始めた。1990年、山川は帝京大学外科で、日本での第一例となる腹腔鏡下胆のう摘出術に成功した。世界の外科学は、大変革期を迎えたのだ。

その後の技術革新により、現在では腹腔鏡下手術は多くの診療科に普及しており、また腹腔鏡下手術が第一選択とされている疾患も多い。

現在の腹腔鏡下手術(例)
現在の腹腔鏡下手術(例)

監修者からのメッセージ

ケリングの発想の素晴らしさは、現在の内視鏡下外科の発展を予想していたところにあるのかもしれない。彼のアイデアから内視鏡下外科手術の発展を予想して、現在使用されている内視鏡下外科手術用機器や気腹法などの開発が先行して進み、1980年代にほぼ完成していたことを考えるとき、またケリングが、ヒトに対する腹腔鏡下手術を45例に実施したという報告asteriskがあることを考えると、彼が残した業績の重さがしのばれると同時に、多くの外科医、内視鏡医が、この方法の普及を予想していたことが理解できる。

腹腔鏡下手術は、患者の身体的負担が小さく、傷も目立たない。また入院日数が少ないなどの利点が評価され、現在は消化器外科、婦人科、泌尿器科などを中心に幅広く行われている。さらに最近は、腹腔鏡下手術はロボットの登場により、特に前立腺がんの手術にその利点があることが注目されている。また、ロボットを用いれば、離島の患者の手術を都会の病院でモニターを見ながら行うことも可能となる時代の到来も予想されるが、その前に全ての分野の外科系医師がロボット手術の、開腹術、内視鏡下手術に勝る利点を明確にする必要がある。それなくして、真の意味でのロボットの普及は疑問視される。時代は、変わるのが常であるとはいえ、この問題は、将来の外科医の教育のあり方もふくめて、慎重に考えなくてはならない喫緊の課題である。

* Gordon AG, Taylor PJ: History and development of endoscopic surgery. Endoscopic surgery for gynaecologists, 2nd edn. WB Saunders, Philadelphia, 1998

帝京大学医学部名誉教授 山川 達郎

2014年2月