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医療の挑戦者たち 5

冠動脈バルーンカテーテル

午前三時のキッチンで、心臓血管の治療に革命が起きた。 

アンドレアス・グルンツィッヒ

私たちの心臓は、なぜ動き続けられるのか?それは「冠動脈」という血管が、酸素と栄養に富んだ血液を心臓の筋肉に届けているからだ。冠動脈が詰まれば、心筋梗塞のような生命に関わる病気になってしまう。

ドイツ人の循環器専門医、アンドレアス・グルンツィッヒは、胸を開く大きな手術をせずに、血管内だけで冠動脈の詰まりを治療する新しい方法を思いついた。鍵は風船だ。血管が狭くなった病変部へ、先端にゴムの風船を仕込んだカテーテル(細長い管状の医療器)を血管から送り込み、病変部で風船を膨らませて押し広げる。血流は回復し、心臓は正常に動くはずだ。

彼は、自宅のキッチンで助手と試作を始めた。問題は素材だった。病変部だけ広げたいのだが、ゴムの風船はソーセージのように縦に伸びるだけで、肝心の詰まりを広げてくれない。彼はプラスチックの素材を次々と試した。

ある日の深夜三時、助手の家の電話がけたたましく鳴った。受話器の向こうは興奮したグルンツィッヒ。「すぐキッチンに来てくれ!やっと風船ができたぞ!」膨らみ過ぎる塩化ビニールをナイロンで防ぐ構造にすることで、ついに狙った形に風船を膨らませることができるようになったのだった。

1977年、彼が考案したカテーテルは初めてヒト冠動脈への臨床試験に成功した。身体への負担が少ない治療法として普及する冠動脈拡張用バルーンカテーテルの、第一号である。

(監修/相澤忠範 先生 財団法人心臓血管研究所 名誉所長)

アンドレアス・グルンツィッヒ

虚血性心疾患の治療に、大きな手術以外の選択肢をあたえたPTCAカテーテル

胸をメスで切らずに心臓血管の手術ができる時代を開く

心臓の周囲を冠(かんむり)のように取り巻き、心筋に酸素と栄養を与えている冠動脈に動脈硬化が進行し、内部に狭窄が起こると、心臓の正常な動きができなくなって、心筋梗塞や狭心症などが起こる。これらの疾患は、心筋への血流が不足するために起こるので「虚血性心疾患」と呼ばれる。これを治療するには、胸をメスで開き、狭窄した冠動脈の先に別の血管をつなげ、血液がそのルートを通って心筋に達するようにする「バイパス手術」がある。しかし、このような大手術をしないで治療する方法も模索されてきた。

グルンツィッヒは血管にカテーテルを差し、冠動脈の狭窄部でバルーンを膨らませて治療する「PTCA」を開発し、患者の負担を軽減したのだ。

PTCA

Percutaneous Transluminal Coronary Angioplasty

(経皮的経管的冠動脈形成術)

アンドレアス・グルンツィッヒ

アンドレアス・グルンツィッヒ

(Andreas Grüntzig, 1939–1985)

PTCAによる治療

非常に成績が良かったグルンツィッヒのPTCAカテーテル施行例

10年たっても全く再狭窄がなかった最初の臨床例

1977年9月16日にグルンツィッヒの最初の臨床試験を受けた患者の冠動脈を、ちょうど10年後の1987年9月16日に撮影したところ、PTCAで狭窄部を治療した冠動脈には全く再狭窄が認められなかった。グルンツィッヒのPTCA施行例は、非常に予後がいいことが知られている。

しかしこの好成績は、彼が患者を厳しく選別していたことにも由来するといわれている。開発当初のPTCAの適応は、バイパス手術が可能な1か所だけの病変で、また硬く石灰化していない、比較的軟らかい病変で、冠動脈の根元に近い部分を対象にするという、厳しい制約をつけていたのだ。

PTCA前/PTCA後 10年経過

写真左:

1977年にPTCAの臨床試験を受ける前に撮影した冠動脈のⅩ線写真。○印の中の冠動脈が狭窄して、細く、薄く写っている。

写真右:

1987年に同じ患者の冠動脈を撮影。10年前にPTCAで治療を受けた部分も、太く、黒く写っており、再狭窄は認められない。

(Douglas JS, et al., The Hurst’s the heart, 8th, 1346, 1994)

PTCAカテーテルによる治療はすぐに広まったわけではない

用途が限られていたグルンツイッヒのカテーテル

グルンツィッヒのPTCAカテーテルによる治療が成功すると、多くの循環器科の医師からの注目を集め、世界中から医師たちが技術を習得するために集まってきた。これでPTCAは世界中に広まるかに思えた。

しかし、適応症例に厳しい制約が付いていたこと、しかもこのように単純な病変を対象にしている割にはカテーテルの操作性が悪く、習熟度の低い医師では失敗例も多く出た。

このため、石灰化病変患者を多くかかえる臨床医たちの多くは、PTCAの適応はあくまでも限定的な症例に限られるという認識であった。

PTCAカテーテルの適応を一気に広げたガイドワイヤー

グルンツィッヒのPTCAカテーテルの使い勝手が悪かったのは、カテーテルの先端に付けた硬いガイドワイヤーに頼って血管内を進める方式のため、なかなか思うように進ませることができなかったことに起因している。これを解決したのはSimpsonという医師である。1981年に、彼は別の細いガイドワイヤーを病変部に挿入し、そのガイドワイヤーに沿わせてPTCAカテーテルを到達させる「オーバーザワイヤー」方式を考案し、それによって、PTCAの適応は石灰化病変も含め、 一気に拡大した。

初期のPTCAカテーテル先端部

初期のPTCAカテーテル先端部

(バルーンを膨らませた状態)

(Gruentzig A, et al.,

AJR132, 547-552, 4, 1979)

PTCAカテーテルの適応拡大とともに明らかになった多くの解決すべき課題

PTCA治療の問題点

PTCAの適応範囲が、多くの困難な症例も含めて拡大するにつれ、いろいろな欠点も明らかになってきている。

 

・再狭窄

冠動脈の狭窄部をバルーンで広げても、半年以内にまた狭窄してしまうことがある。

・冠動脈内膜解離

狭窄部をバルーンで広げたとき、血管の内側の膜がはがれ、これが血管を塞いでしまうことがある。

・高度石灰化病変

動脈硬化が進行して、冠動脈の内側がたいへん硬く、厚い石灰化病巣におおわれている場合には、バルーンの力では広げられない場合がある。

このようなPTCAの問題点も、現在では、そのほとんどを別のカテーテル治療で解決できるようになっている。

大空に消えたPTCAカテーテルの開発者

自家用飛行機の墜落で死亡したグルンツィッヒ

PTCAカテーテルを開発したグルンツィッヒは、経済的にも恵まれ、やがてアメリカに渡ってからは自家用機を乗り回すまでに成功した。だが、1985年のある日、彼の愛機は墜落。心臓血管治療に新時代を開いた気鋭の医師は、まだ40代という若さでこの世を去った。
大空