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医療の挑戦者たち 4

心臓カテーテル法

ゴムのチューブを血管から心臓へ。
自らの体で挑んだ実験が、心臓カテーテル法を生んだ。

ヴェルナー・フォルスマン 

一九二九年、晩冬のドイツ。国家試験に合格したばかりの研修医ヴェルナー・フォルスマンは、自分のアイデアを実行したい衝動を抑えきれずにいた。

チューブを馬の血管から心臓に挿入し、血圧を測ったという記録を医学書で見つけた彼は、もしチューブを人間の血管から心臓に挿入できれば、強心剤を直接心臓に注入して、より有効な治療ができるはずだと考えていた。「これを生きた人間で試してみたい…」。

ある日、実験は手術室で決行された。彼は自分の腕の静脈にゴム製のチューブ(尿管カテーテル) を差し、もう片方の手でチューブを心臓へと押し進めていった。

そして、腕からチューブをぶら下げたまま階段を降り、地下にある放射線室でレントゲン写真を撮影した。チューブの先端は、確かに心臓内部の右心房まで到達していた。

しかし、体を張った彼の実験に周囲の目は冷たかった。教授からは「まるでサーカスの見世物だ!」と罵倒される。失意のうちに研究室から追放された彼は、大学を去り、町の開業医としての生活に入った。

それから二七年後の一九五六年。フォルスマンはノーベル賞授与式の会場にいた。アメリカの二人の研究者が心臓カテーテルを使い、彼の実験の正当性を証明したのだった。彼は心臓カテーテル法の先駆者として、二人の研究者とともにノーベル生理学・医学賞を受賞した。

(監修/川田志明 先生 慶応義塾大学 名誉教授・山中湖クリニック理事長)

ヴェルナー・フォルスマン

今日、心臓病の検査や治療に使われている心臓カテーテル法の先駆者

心臓病の診断や治療に欠かせない心臓カテーテル

腕や脚などの末梢血管から、心臓血管や心臓内部へカテーテルを進めて行う医療手技には、検査を行う「心臓カテーテル検査」、心臓の動きを統率がとれた形に整える「心臓ペーシング法」、心臓血管を治療する「カテーテル・インターベンション法」などがあるが、これらのすべては、このフォルスマンの実験が発端となっている。医療の歴史を大きく動かした偉大な業績のなかには、このように若い医師による無謀ともいえる自己実験が関連していることは少なくない。

意外に慎重だった?フォルスマンの実験

フォルスマンは、決してぶっつけ本番で実験に挑んだのではない。あらかじめ死体を使って、腕の静脈から尿管カテーテルを押し進め、心臓の右心房へ到達させた。カテーテルの位置は、テスト後に病理解剖で確認した。左腕からと、右腕からの両方を試して、彼が選んだのは左腕だった。このように周到な準備を積んだからこそ、本番の自己実験でも落ち着き払って、見事やりとげることができたのだと考えられる。

ヴェルナー・フォルスマン(Werner Forssmann, 1904 -1979)
ヴェルナー・フォルスマン
(Werner Forssmann, 1904 -1979)

本当にフォルスマンが最初なのか、ノーベル賞受賞を決めたレントゲン写真

心臓にカテーテルを通した人物は複数いた

初めて心臓にカテーテルを通した人物にノーベル賞を与えるべきだということから、フォルスマンは受賞したのだが、実はほぼ同じ時期に、何人かが同じような実験をしていたといわれる。しかし最終的には、実際にカテーテルが心臓まで通った写真を撮影し、そのフイルムが残っていたのはフォルスマンだけだったことから、彼が受賞することになった。

カテーテル法による診断・治療は画像と不可分

では、たまたまレントゲン写真を撮影したフォルスマンは幸運だったのか?いや、そうではない。今日、心臓カテーテル法を使うとき、画像での観察や、撮影をしないことは、まず考えられない。画像に残すことは、心臓カテーテル法を用いる医療の本質なのだ。画像を残していたフォルスマンは、やはりカテーテル医療の本質をしっかりと見据えていた学者だといえるのだ。

ウィルヘルム・レントゲン(1845-1923)

ドイツの物理学者。陰極線の実験中に、手を透過し、骨だけを映し出す不思議な現象を発見。これを「X線」と名付けて発表する。1901年、第1回ノーベル物理学賞を受賞する。

Forssmann W: Die Sondierung des recheten Herzens, Klin Wscft, 45, 2085-7, 1929

フォルスマンの残したレントゲン写真が受賞を決めた

心臓カテーテル法を確立したクールナンとリチャーズ

カテーテルで心臓内の血圧や酸素量を測定

なぜフォルスマンは、27年もたってからノーベル賞を受賞したのだろうか。それは同時に生理学・医学賞を受賞した二人の人物が、フォルスマンより後に画期的な業績をあげていたからだ。

クールナンとリチャーズは、呼吸器生理学の研究を通して、今日の心臓カテーテル法の基礎を確立したことで知られる。フランス人のクールナンは、アメリカに渡りコロンビア大学の教授となっていたが、同僚のリチャーズとともに、独自のカテーテルを考案し、心臓や肺動脈内の血圧や、含まれる酸素の量を測定するなど、心臓の機能や肺循環の研究において大きな成果をあげた。*1

*1 川田志明: はあと文庫5, 2007

アンドレ・クールナン(1895-1988)

フランス・パリ生まれの生理学者。アメリカに移住し、帰化。コロンビア大学医学部で呼吸器生理学を研究。また臨床医としても活躍した。1956年ノーベル生理学・医学賞を受賞。

ディッキンソン・リチャーズ(1895-1973)

アメリカ・ニュージャージー州生まれの内科医・生理学者。ハーバード大学で肺と循環器に関する生理学を研究。クールナンと知り合い、心臓カテーテルの開発に携わり、心臓病治療薬の効果測定などに応用する。1956年ノーベル生理学・医学賞を受賞。

いろいろな心臓カテーテル法

心臓カテーテル検査

カテーテルで造影剤(レントゲンで撮影できる液体)を心臓血管や心臓内部へ注入して血管の状態を撮影したり、心臓内部の血圧や酸素の状態などを調べる検査。
血管造影用カテーテル
血管造影用カテーテル
心臓カテーテル検査(冠動脈造影)
心臓カテーテル検査(冠動脈造影)

心臓ペーシング法

心臓の中には4つの部屋があり、統率のとれた心臓の動きがあって、はじめて血液がその4つの部屋を行き来して、体全体の血液循環が確保される。しかし心筋梗塞などによって不整脈が生じると、心臓の動きがバラバラになり、血液循環がうまくいかなくなる。このようなときは心臓ペーシング法により、心臓の各部に電気を流し、心臓全体の動きを調和させることができる。

カテーテル・インターベンション法

カテーテルを心臓血管まで挿入し、治療する方法。たとえば冠動脈の詰まりによって起こる狭心症や心筋梗塞の治療には、血管が詰まっているところをバルーンで広げるPTCA、広げた部分を金網で支えるステント留置、詰まりの原因が柔らかい血栓の場合に、それを吸引する血栓吸引療法などがある。
ステント留置
ステント留置