一九二一年、マサチューセッツ州の女子学生、ヘレン・トーシックは、地元の名門大学医学部への入学を「女性だから」という理由で拒否された。当時のアメリカには、まだ前時代的なルールが残っていたのだ。
女性の入学を認めていたメリーランド州の大学医学部を卒業し、付属病院の小児科医となったトーシックは、先天性の心臓病に苦しむ幼い子どもたちの存在に心を痛める。
極端に血色が悪く、泣き続けると血液中の酸素が不足して発作が起こり、しゃがみ込んでしまう。有効な治療法はなく、幼いうちに一生を終える子も少なくなかった。
彼女は、当時導入されたばかりのX線透視装置を駆使し、子どもたちの心臓が動く映像を見ながら治療法を考えた。「この子たちは、心臓から肺へ流れる血液量が少なくなっている。それなら心臓近くにある別の動脈を肺動脈につなぎ、血液を肺へ流せば、血液中の酸素が増えて病状は改善するのではないか?」彼女はさっそく同僚の外科医にその斬新な構想を相談した。
一九四五年四月、医学会が行われたホールは熱気に包まれた。彼女と外科医は、いままでは救えるはずがなかった子どもたちの命を救った新しい手術の詳細を報告した。そして最後に、元気を取り戻した三人の子どもたちを聴衆に紹介すると、感動が会場を包んだ。どよめきは歓声に変わり、興奮した聴衆は彼女と外科医を肩にかつぎ上げて、ホールの外へと練り歩いたのだった。
トーシックの成果は、先天性の心臓病に対する治療法を確立したことだけではない。あの地元の名門大学医学部が、その翌年から女性に入学を認めることを決定したのだ。
(監修/高橋幸宏 先生 榊原記念病院副院長・心臓血管外科主任部長)