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医療の挑戦者たち 22

血管内治療

歩けなかった脚で女性が歩きだした。
世界初の血管内治療の成功。

チャールズ・ドッター

八二歳になる女性。左脚の血管が動脈硬化で塞がり、血液の通りが悪くなって、足先から壊死が起こっている。もしそこに菌が増殖し、敗血症になれば命があぶない。脚の切断も検討しなければならない状況だ。

担当医から相談され、彼女を診察したチャールズ・ドッターは、すぐにひらめきを感じた。「これは、私が考えた拡張カテーテルで治せる」。彼はカテーテル(細長い管状の医療器)を血管内に入れ、詰まった血管を再開通させる方法を研究していたのだ。

一九六四年一月、彼はカテーテル手術に挑んだ。やり方は、こうだ。まず細い針金を、狭くなった動脈の内側に通す。次に針金にカテーテルをかぶせ、針金沿いに動脈へと押し込む。これで動脈は、少し押し広げられた。さらにもう少し太いカテーテルを最初のカテーテルにかぶせ、押し込む。動脈は、さらに広がったはずだ。

カテーテルを抜くと、効果は数分で現れた。冷たかった足が温かくなってきたのだ。やがて壊死の進行も止まり、自分の足で歩けるまでに回復した。幸いにも彼女の病態には、ドッターの治療法が適合したのだ。

この「世界初」の成功をきっかけに、ドッターは多くの血管内治療法を開発した。たとえば動脈内部にコイルスプリングを留置し、拡張された動脈が再び詰まるのを防ぐ方法。これは今日、多用されている「ステント療法」に通じる手法であり、彼が血管内治療法の将来を、いかに正確に予測していたかを実証するものである。

(監修/相澤忠範 先生 財団法人心臓血管研究所 名誉所長)

チャールズ・ドッター

配管工のように血管を治療する。
ドッターが挑戦した孤独な闘い。

カテーテル手術の創始者

大きな手術をせず、カテーテルを血管に通すだけで病巣部を治療する。そんなカテーテル手術は、いまや一般的な治療法として確立されているが、その創始者とされるのがドッターだ。1964年、アメリカ・オレゴン州の病院で放射線科医をしていた彼は、動脈硬化で脚の動脈が詰まり、脚を切断する寸前まで追い詰められた女性に対し、カテーテルで血管を拡張させる手術を成功させた。これをきっかけに、彼は心臓の冠動脈(心筋に血液を供給する動脈)を拡張させる方法、そして拡張した血管が再び狭窄するのを防ぐためにコイルスプリングを留置する、今日では「ステント留置術」と呼ばれる方法を考案した。ドッターが血管内治療の草創期に果たした役割はきわめて大きい。

「クレージー・チャーリー」と呼ばれて

ドッターは若いころから機械的なものへの関心が強く、配管工が使うパイプとレンチを見事な筆致で描いている。そしてそのスケッチを、彼が開発する血管内治療のシンボルとした。つまり「配管工がやれることは、すべて血管に対してもできる」という宣言である。

この挑戦に対し、アメリカの学界、とくに従来からの手術による進歩を望む外科医から大きな反発が起こった。ドッターの手法は主流から外れすぎており、また治療法としても未完成で血管の炎症などの合併症が多く、他の医師が彼の方法を試しても滅多に成功しないなど、多くの問題点があった。彼はとうとう「クレージー・チャーリー」というありがたくないニックネームを付けられ、長い間アメリカの医学界から無視され続けることになる。

学生時代にドッターが描いた配管工の道具
学生時代にドッターが描いた
配管工の道具
(Payne M M: Texas Heart Inst J.
28, 1, 2001)

見事に成功した最初の血管内治療

脚の切断を拒否する患者に

医師はときとして、患者に重い決断を迫らなければならないことがある。82歳になる女性。動脈硬化により左脚の浅い部分にある動脈が塞がり、血液の通りが悪くなる閉塞性動脈硬化症(ASO)。最も進行した状態で、足先の方に潰瘍・壊死が起こり、痛みを訴えている。メスを使った手術で完治する見込みはない状態だ。もし壊死したところに菌が増殖し、敗血症になれば、命があぶない。担当医は事情を説明し、脚の切断を勧めた。しかし彼女は、どうしても首を縦に振らない。困り果てた担当医は、同僚の医師、チャールズ・ドッターに相談した。
閉塞性動脈硬化症(ASO)の重症度分類(Fontaine分類)
閉塞性動脈硬化症(ASO)の
重症度分類(Fontaine 分類)

初めての血管内治療に成功

ドッターは以前から、狭窄した血管をカテーテルで押し広げる治療法のアイデアを持っており、そのための拡張カテーテルや、カテーテルを血管内に導入するためのガイドワイヤーを試作していた。患者を診察した彼は、自分のアイデアを試すときがきたと感じた。患者が脚の切断を拒否している限りは、いつ敗血症が起こるかもしれないのだ。可能性のある治療法があるなら、試す価値は充分にある。彼は次のような手順で、カテーテルでの治療を行った。

1. まず、血液を固まりにくくするヘパリンという薬を脚の動脈に注射。

2. X線透視下で外径1mm強のコイルスプリング製ガイドワイヤーを動脈に通す。

1mm径ワイヤー

3. 外径2.5mmの先端が細く加工されたカテーテルをガイドワイヤーにかぶせて押し込み、動脈硬化層を突破させる。 

2.5mm径

4. さらに外径3.2mmのカテーテルをかぶせて押し込む。すると血栓性の詰まりがあった部分は、あっけなく押し広げられた。

3.2mm径

彼が行った最初の血管内治療は、見事に成功したのだ。患者は3年後、不幸にして心臓病で亡くなったが、その直前まで自分の足で歩いていたという。

閉塞性動脈硬化症に対するカテーテル治療
A: 術前(矢印部分に閉塞が認められる)
B: 術直後(閉塞部分が開通している)
C: 3週後(閉塞部分は開存したままの状態)

(Dotter C T:Circulation 30, 654-670, 1964)

閉塞性動脈硬化症に対するカテーテル治療

ヨーロッパでは受け入れられたドッターの血管内治療

心臓の血管内治療が開始される

アメリカの学界では無視されたドッターだが、彼の手法と、提唱した数々のアイデアは、ヨーロッパでは受け入れられた。彼はヨーロッパで積極的に講演会や、カテーテル手術のデモンストレーションを行い、血管内治療の進歩を促した。1977年、ドイツのグルンツィッヒが冠動脈を風船で拡張する手法を開発し、心臓の血管内治療を開始したが、グルンツィッヒもドッターの手技を学び、その影響を強く受けていたといわれる。ドッターはヨーロッパでは尊敬を集める存在となり、血管内治療は「ドッタリング」と呼ばれることさえあった。
話し合うドッター(右)とグルンツィッヒ(Friedman S G:Radiology. 172, 3, 2, 1989)
話し合うドッター(右)とグルンツィッヒ
(Friedman S G:Radiology. 172, 3, 2, 1989)

血管再狭窄を防ぐためのステントの原型を考案

状記憶合金製のコイルスプリングも考案

血管内治療によって血管の閉塞部分を拡張しても、しばらくすると治療した部分が再狭窄を起こすことがある。しかもこの現象は、無視できないほどしばしば起こることもわかってきた。そこでドッターが考えたのは、カテーテルで拡張させた血管内腔にチューブ状の器具を入れ、血管が再狭窄するのを防ぐという方法だ。これは金属製のメッシュを用いる今日の「ステント療法」の原形といわれる。

彼が1969年に試したのは、ポリエチレンやシリコン、フッ素樹脂などで作ったチューブだったが、ほとんどが血栓形成を起こし、1日もたたないうちに詰まってしまった。その後ステンレス製のコイルスプリングで2年間の長期開存に成功した。しかし、留置した位置からズレるという欠点があった。そこで、1983年には形状記憶合金を材料とした熱可変性のコイルスプリングを開発した。これは60℃の熱を加えると広がるタイプで、抗凝固剤を使わなくても1カ月の開存が確認されている。
ドッターが開発した熱可変性のコイルスプリング加熱前(上)と加熱後(下)(Dotter C T et al. : Rdiology 147, 4, 1983)
ドッターが開発した熱可変性のコイルスプリング
加熱前(上)と加熱後(下)
(Dotter C T et al. : Rdiology 147, 4, 1983)
この後も多くの研究者が彼の後に続き、目的別に様々なタイプを開発した結果、今日ではステントが血管内治療の中心的な役割を果たすようになっている。
今日のステント(脚の末梢動脈疾患治療用)
今日のステント
(脚の末梢動脈疾患治療用)

ドッターが創始した血管内治療は、大きな医療分野に拡大

放射線医療の地位を向上させたドッター

レントゲン装置の導入により開始された放射線医療は、常に診断のための医療であり続けた。しかしドッターは、血管の閉塞を治療するためのカテーテル、そして再狭窄を防ぐためのステントを導入することで、放射線医療に「治療」という分野を加えた。これは病院の中で放射線科の地位を高めることにもなったが、大きな手術をしなくても血管の治療ができるようになり、患者の負担が少なく、入院期間も短くなるなど、医療そのものの進歩にも大きな貢献をした。いまや血管内治療は大きな医療分野を形成するようになり、手足などの末梢血管、心臓など臓器の血管はもちろん、脳神経外科や内科的治療にも応用されている。