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医療の挑戦者たち 20

人工心肺の発明

心臓の血流を長く止められれば
長時間の難手術にも挑める。

人工心肺の発明。 ジョン・ギボン

今日では、心臓血管の血流を止めて大規模な手術をする場合、心臓と肺の機能を肩代わりする装置がある。この「人工心肺」装置がなかった時代、大きな手術にはしばしば困難が伴った。

一九三四年、アメリカ・ボストンの総合病院に研究員として採用されたジョン・ギボンは、大きな夢を抱いていた。数年前、彼は完ぺきと思われる肺塞栓の手術に立ち会った。心臓血管の流れを止めたのは、わずか六分三〇秒。しかし、患者は助からなかった。そのとき、彼の頭にはある構想が浮かんでいた。「もし、心臓と肺の機能を一時的に肩代わりする装置があったら、心臓ヘの血流を止めたまま、長時間の手術をしても救命できるはずだ…」。

彼はすぐに、その構想の実現へ向けて動き出した。

ボストンの町はずれにある古物商で数ドルのポンプを買い、血液を体外で循環させながら、酸素を吹き付ける装置を組み立てた。そして、動物の生命を維持する実験を繰り返した。

一九五三年、ギボンは心臓の構造に問題を抱える十八歳の女性の手術に挑んでいた。心臓を切開する難手術だったが、彼が発明した装置は二十六分間にわたり、彼女の生命を支え続けた。人工心肺を使った心臓手術が、世界で初めて成功したのだった。

その後、人工心肺には多くの改良が加えられ、今日では心臓や血管の手術を支える基本的な装置として大きく役立てられている。

(監修/古瀬彰 先生 日本心臓血管外科学会 名誉会長)

ジョン・ギボン

若いギボンが人工心肺の必要性を感じた
見事な手術とその結末。

肺塞栓症の患者に一晩中付き添う

ギボンが人工心肺装置の開発に取り組むきっかけとなったのは、彼がまだ若い研究員だったころのことだ。

ギボンは、手術室に運び込まれたベッドのそばで寝ずの番をしていた。横たえられた50代の婦人は、15日前に受けた胆のう摘出手術の影響で、肺の動脈に血液のかたまりが詰まり、重い肺塞栓症を起こしている。さらに悪化すれば、すぐに心臓への血流を止めての手術となるが、その場合、血流を止める時間を数分以内に収めなければ、生命維持は困難だ。しかもこの難手術は、アメリカでの成功例がまだない。

ジョン・ギボン(John Gibbon, 1903-1973)
ジョン・ギボン
(John Gibbon, 1903-1973)

心臓と肺の機能を肩代わりする装置があれば…

彼は15分おきに血圧と脈拍数を測り、カルテに記録するよう命じられていた。その単調で孤独な作業の中で、彼女を救う方法を、あてもなく考えていた。そしてその考えは、ひとつの方向へと収束していった。「もし彼女の心臓と肺の機能を一時的に肩代わりする装置があったなら、心臓への血流を止めたまま、じっくりと手術できるのではないか…」。

手術は見事だったが、救命はできなかった

朝になると容態は悪化し、血圧は測定できないほど低下した。所長は彼女の胸を切り開き、心臓から肺へと通じる太い動脈を切開し、大きな血栓を取り除いてすぐに傷を縫い合わせた。所要時間はわずか6分30秒。若いギボンには、実に見事な手さばきに見えた。しかし、それでも彼女にとっては時間がかかり過ぎたのだ。婦人は手術台の上で息絶えていた。このつらい経験が、人工心肺の開発を決意させる大きなきっかけとなったことは間違いない。

肺塞栓症の発症過程

肺塞栓症の発症過程

①体内で発生した血栓は血流にのり、
大静脈を通って心臓に入る。
②心臓に戻った血液は肺に向かうが、
血栓があると大きな塊となり、肺の入り口をふさぐ。

肺の機能を機械に任せられないか

最も難しかった人工肺

ギボンは考えた。心臓の機能はポンプだから、これを機械に置き換えるのは、そう難しくはない。しかし難関は人工肺だ。血液に酸素を与えるガス交換装置をどのように工夫できるか、人工心肺の成否はその一点にかかっている。1934年、ギボンが最初に作った装置は、垂直に立てた円筒を回転させ、その内面に血液を流下させて遠心力で血液が薄い膜状に広がるようにし、そこに酸素を吹きつける仕組みだった。ポンプはボストンの古道具屋で買ったものを改造し、あとは手作りであったが、動物実験には成功した。

最初のギボン人工心肺装置(模式図)

静脈からの酸素の足りない血液は、いったん装置の天頂部へ上げられ、いちばん左側の人工肺にあたる回転円筒内側に流下させられる。 この円筒内には酸素が吹き込まれガス交換が起こる。 円筒底部にたまった酸素の豊富な血液は動脈に戻される。

(Johnson S::The History of Cardiac Surgery 1898-1955,141, 1970)

最初のギボン人工心肺装置(模式図)

輝かしい手術の成功、そして挫折
ギボンが手を引いたあとも発展した人工心肺

人工心肺を用いた心臓手術に成功

動物実験での生存率が向上しても、ギボンは慎重だった。しかし最初の人工心肺装置を作ってから20年近くが経過しようとしていた。ヒトでの成功を要求する周囲の声に押されるように、彼はメスをとった。ヒトを対象とした最初の成功例は1953年、心房中隔欠損症をもつ18歳の女性であった。人工心肺装置は問題なく働き、彼は右心房を切開し、欠損部を閉じることに成功した。女性は回復し、心臓カテーテルによる検査でも、欠損部の完全閉鎖が確認された。見事な成功であった。

しかし、その直後にギボンが行った2件の手術では、不幸にも2人とも救うことはできなかった。ギボンは落ち込んでメスを置き、その後は決して人工心肺を使おうとはしなかった。

ギボンと最初に人工心肺手術が成功した女性
ギボンと最初に人工心肺手術が
成功した女性
(Pastuszko P et al.:J Card Surg
2004, 19, 2004より)
心房中隔欠損症の図

心房中隔欠損症

心臓は4室に分かれているが、
上側の2室の間の壁に穴があき、
両方の血液が混ざる状態になる。
右心房、右心室、肺に負担がかかる。

驚異的な発展をみせた心臓手術

ギボンが人工心肺を使わなくなった後も、人工心肺の開発は進んでいった。メイヨークリニックのカークリンは、ギボンの人工心肺を改良して、1955年に8人の小児への手術を行った。ほとんどが先天性心疾患末期の症例であったが、4人が成功した。いずれも手術をしなければ死亡する重症例であり、人工心肺装置の有用性を示す例としての評価を受けた。この1955年は、体温を低くして心臓の動きを止める低体温法が考案されたことで、心臓手術の手技が格段に容易になった。この後、人工心肺と低体温法の組み合わせで、心臓手術は驚異的な発展を遂げていく。

人工心肺の図

人工心肺手術とオフポンプ手術の併存時代へ

バイパス手術では、人工心肺を使わない手術も選択肢に

心臓の表面を走る冠動脈は、心筋に酸素と栄養を与え、心臓の活動を支える重要な血管である。この冠動脈が詰まると狭心症や心筋梗塞を起こし、心臓の活動を維持できなくなる。冠動脈の治療のひとつに、開胸して血管をつなぎかえる冠動脈バイパス手術がある。

バイパス手術を行うには、従来から心臓を止めて人工心肺を使う術式が一般的であったが、最近は心臓を止めず、人工心肺も使わない「オフポンプ手術」も選択肢となってきた。