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医療の挑戦者たち 9

人工血管と血管外科への応用

移植できる血管さえあれば…。
戦場の悲しみが血管外科を飛躍させた。

マイケル・ドゥベイキー

「人は血管とともに老いる」。十九世紀末の内科医の言葉だが、二一世紀に入った現在も血管病の脅威は衰えを知らない。

マイケル・ドゥベイキーは、アメリカのルイジアナでレバノン系移民の子として育った。父は薬局を営み、母は裁縫師として働きながら、近所の少女たちにミシンを教えていた。アメリカ社会に溶け込むために努力を惜しまぬ家庭だった。

外科医になったドゥベイキーが陸軍に志願し、アフリカ・ヨーロッパ戦線で軍医として働いたのは自然な流れでもあった。しかし、その戦場で彼は大きな無力感を味わう。移植可能な血管を入手できず、傷ついた兵士たちをただ看取ることが多かったのだ。「必要なときに、いつでも安心して使える血管さえあれば…」。

第二次大戦後、衝撃のニュースが飛び込んできた。パラシュート生地の人工血管で動物実験に成功したというのだ。それまでは生体などから採取された血管が使われていたが、数年しかもたなかった。「人工材料で血管が作れるのだ!」彼は新たな研究に乗り出す。そして一九五四年、世界で初めてヒトへの人工血管手術に成功した。救命が難しかった腹部大動脈瘤手術に、最新の合成繊維、ポリエステル製の人工血管を用いて快挙を成し遂げたのだった。

人工血管はいま、動脈瘤や動脈硬化で傷んだ血管との交換、人工心臓の植込みなどに用いられ、多くの尊い命を救っている。

歴史が浅かった血管外科に「人工血管」という選択肢を与え、飛躍させたのは、ひとりの天才外科医の情熱だったのである。

(監修/中野 赳 先生 三重大学 名誉教授 ・ 桑名市総合医療センター 桑名東医療センター 理事)

マイケル・ドゥベイキー

「人工材料は人工血管の素材にはならない」それまでの常識を破った合成繊維

生物材料製の人工血管が使われていた時代

人工血管とは、血管移植の材料として用いられる人工の血管である。動脈瘤や狭窄など、病変のある血管の代わりに使用される。

人工血管の研究が具体性を持ち始めたのは19世紀末から20世紀にかけてのことである。その素材として、マグネシウム、象牙、アルミニウム、金など、さまざまな材料が試みられた。しかし、それらが結果として失敗すると、人工材料で作った人工血管の研究は停滞してしまった。

それに代わり、1940年代には動物や人間から採取した血管を処理して用いるようになり、ある程度の臨床的成果も得られるようになった。だが、このような生物材料製の人工血管も、年月とともに動脈瘤のように腫れあがってしまい、再手術を余儀なくされることが多かった。

第二次世界大戦に従軍し、多くの傷ついた兵士が亡くなる体験を通して、安心して移植できる血管への思いが誰よりも強かったドゥベイキー。彼もまた、戦後に取り組んだのは移植用にヒト血管を凍結保存する技術だった。

マイケル・ドゥベイキー(Michael DeBakey, 1908-2008)
マイケル・ドゥベイキー
(Michael DeBakey, 1908-2008)

飛び込んできた衝撃のニュース

1952年、ニューヨークのヴォーヒーズは、アメリカ空軍のパラシュート生地(ポリビニル繊維)製の人工血管を用いて動物実験を行い、成功した。このニュースは、当時「人工材料は人工血管の素材にはならない」と考えていた医学界を驚かせた。それ以降、ありとあらゆる合成繊維が人工血管の素材として試されることとなる。合成繊維で人工血管を作ることができることを知って衝撃を受けたドゥベイキーも、新たな動きを開始する。

アメリカ空軍のパラシュート(写真は現代のものです)

アメリカ空軍のパラシュート

(写真は現代のものです)

腹部大動脈瘤の手術を成功させたドゥベイキーの人工血管

救命が難しかった腹部大動脈瘤

大動脈とは、全身に血液を送る太い血管である。大動脈は心臓から頭部に向かってカーブを描き、胸部の左後ろを下へ走行する。横隔膜を貫いて腹部に入り、ヘソの少し下のあたりで左右に分かれる。ここまでが「大動脈」と呼ばれる。横隔膜の上部が「胸部大動脈」、下部が「腹部大動脈」である。

腹部大動脈瘤は、腹部の中心を縦に走る大動脈がコブのように太くなる病気で、主な原因は動脈硬化である。20世紀半ばまでは有効な治療法がなく、腹部大動脈瘤と診断された患者は、数年のうちにコブの破裂による出血で亡くなることが多く、死に至る病だった。その後、コブの部分を切除して、代わりに生体の動脈を移植する手術法が考案されたが、同じ場所に動脈瘤ができてしまうことが多かった。

大動脈の全体図

ポリエステル繊維製の人工血管で13年間生存

ドゥベイキーが人工血管の材料として採用したのは、当時最新の合成繊維、ポリエステルだった。それを彼は妻のミシンを使って、血管の形に縫い上げた。ミシンの技術は、子どもの頃に裁縫師だった母から手ほどきを受けており、腕は確かだった。

1954年、ドゥベイキーはヒトの腹部大動脈瘤を切除し、ポリエステル生地をY字型に縫った人工血管に置き換える手術に初めて成功した。この最初の患者は13年間生存したが、最後まで手術部位のトラブルはなかったという。

ポリエステル繊維製の人工血管
(De Bakey M et al.: Annals of Surgery, 160(4), 622-638, 1964より)

血管外科の発展に幅広く貢献した偉大な外科医

90歳を過ぎてもメスを握り、多彩な業績を残す

1908年生まれのドゥベイキーは、2008年、100歳の誕生日を目前にこの世を去った。90歳を過ぎても血管外科でメスを取り続けた彼は、70年以上を現役の外科医として生きたことになる。ここでは人工血管の成功をクローズアップして紹介したが、彼の功績は非常に多岐にわたる。

多くの手術法を生み出し、70種類以上の手術器具を考案し、200以上の賞を受けた彼は、500名以上の外科医を育て上げた。常にアカデミックで、自分にも弟子にも厳しかったが、弟子たちは彼に育てられたことを誇りに思い続けているという。

マイケル・ドゥベイキーの主な業績

1932年 大学在学中に19世紀のポンプにヒントを得て人工心肺装置用のローラーポンプを開発。

1945年 MASH(移動式陸軍外科病院)を開発した功績により国から表彰を受ける。

1953年 世界初の頸動脈内膜切除術に成功し、脳血管障害の外科的治療に道を開く。

1954年 腹部大動脈瘤の人工血管置換手術に成功。

1956年 世界初のパッチグラフトによる血管形成術に成功。

1964年 静脈移植によるACバイパス術に成功。

1966年 心不全患者に対し、人工心臓(左心補助装置)の植込みに成功。

1968年 1人の臓器提供者から、4人に対し、心臓、2つの腎臓、肺の同時移植に成功。

1996年 医師団を率い、ロシアのエリツィン大統領への5枝バイパス手術に成功。

現代の血管外科に欠かせない人工血管

人工血管の用途と条件

人工血管は今日、病的な状態になった血管を取り替えたり、血管同士をバイパスでつないだり、人工透析のため針を刺す血管をつくるなどの目的で用いられている。人工血管の形状は単純に見えるが、開発にあたっては、使いやすさ、血栓ができないこと、生体に適していること、長く機能すること、安全に使えることなど、さまざまな条件をクリアする必要がある。

現在では、大手術をせずに、カテーテルを使って血管の中から人工血管を送り込み、病変部に留置する「ステントグラフト」も開発されている。人工血管は、現代の血管外科にとって不可欠なデバイスといえる。

人工血管