TERUMO STORY エピソードで綴るテルモの歴史 SINCE1921

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日の丸と星条旗が揚がった
───アメリカ初の現地生産拠点の設立

合弁会社キンブルテルモ社の生産工場が立ち上がった

キンプルテルモ社開所式。雨の中、日米両国旗を掲揚 キンプルテルモ社開所式。雨の中、日米両国旗を掲揚

1枚の興味深い写真があります。雨の中、日の丸と星条旗、日米両国の国旗がゆっくりと掲げられようとしている様子を、傘をさした数名が嬉しそうに見上げています。1974(昭和49)年4月、米国メリーランド州エルクトン市で、「キンブルテルモ社」(現テルモメディカル社)の工場の開所式が行われました。同社はテルモと米国最大のガラス容器メーカーであるオーエンズイリノイ社との合弁会社で、その新工場がいよいよスタートしたのです。この模様は現地の新聞にも大きく取り上げられるほどニュースバリューのあるものでした。

キンブルテルモ社の設立は1972年10月。翌年9月から北米での販売活動をスタートする一方、生産拠点となる工場建設が急ピッチで進められ、この日の工場開所式を迎えることができたのでした。

テルモメディカル社への社名変更と業績の改善

当時すでに、アメリカにおける販売拠点として1971年にテルモアメリカ社を設立していました。アメリカにおけるテルモの評判は、テルモアメリカ社の社員の努力もあって、少しずつ高まっていて、いくつかの米国企業から体温計、血液バッグ、真空採血器の分野で、技術提携や合弁会社設立のオファーが来ていました。そのうちの一社が米国最大のガラス容器メーカーであるオーエンズイリノイ社だったのです。同社は採血管用のガラス試験管を生産し、それを採血管の大手企業に供給していましたが、その会社が自社生産を始めたことから納入を取りやめ、品質的に十分対抗できるメーカーを探していたのです。そして、テルモにガラス試験管の供給を申し出たというわけです。

工場が完成すると、テルモの本社から5人の技術者が派遣され、102名の人員で真空採血管の生産が始まりました。しかし、現地調達を予定していた素材の品質問題、数量不足、そして競合他社の販売攻勢にあい、生産・販売ともに苦難のスタートとなりました。

その後、キンブルテルモ社は1980年に社名をテルモメディカル社へと変更、市場ニーズに対応して、販売品目、生産品目の追加、変更などを行い、業績が改善し黒字経営に転換していったのです。

キンブルテルモ社社屋 キンブルテルモ社社屋

テルモメディカル社の作業風景 テルモメディカル社の作業風景

 

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