TERUMO STORY エピソードで綴るテルモの歴史 SINCE1921

もどる

富士山のふもとにテルモの工場がある
───富士宮、愛鷹工場の建設

背景に富士山が見える工場立地を探そう

北斎 富嶽三十六景 北斎 富嶽三十六景

「富士山」。葛飾北斎「富嶽三十六景」などの浮世絵に描かれ、世界的に知られる日本を象徴する山。テルモの主力工場や研究所は、この富士山の周辺に建てられており、そこからは雄大な富士山を望むことができます。

東京・墨田区の小さな町工場で産声を上げたテルモは、2年後の1923年に渋谷区幡ヶ谷の本社敷地に新工場を建設し、長らくここを主力生産工場としていました。しかし、製品の多角化によって幡ヶ谷工場は手狭になり、新しく工場を建てる必要に迫られました。新工場の敷地を探すにあたっては、関連会社に注射針の製造を担った「富士テルモ」があること、従業員がマイホームを取得しやすいという理由から、静岡県富士宮市が第一候補となり、用地探しが始まりました。

 

第1期工事完成当時の富士宮工場 第1期工事完成当時の富士宮工場

当時の会社の幹部から「富士山が見えるところがいい」という要望もあり、1963(昭和38)年に約6000坪の工場用地を取得しました。富士宮市大宮字稲荷林にあるその工場用地は、当時見渡す限りの原野で、ほんの数軒の民家が点在するだけ、遠くには駿河湾も望めました。富士山南麓に広がる広大な土地、そして富士山から流れ出る豊かな水系、関東と関西を結ぶ絶好の立地と、富士宮はテルモの主力工場としての条件が揃っていたのです。

富士宮工場建設はその年の9月に始まり、翌1964年1月に完成しました。そしてすぐに体温計用ガラス生地と注射針の生産がスタート。また、東京からの転勤者のため、木造2階建、48人が入居できる男子寮が建てられるなど、本格的な工場としての陣容が整えられていったのです。

 

愛鷹工場のスタート

第1期工事完成当時の愛鷹工場 第1期工事完成当時の愛鷹工場

富士宮工場に続いて、6年後の1970年3月、富士宮市にもうひとつ、テルモの新しい工場が完成しました。富士宮市万野原新田に建設された愛鷹工場です。この工場の敷地は富士登山道に面していて、北東方面に愛鷹山が望まれることから「愛鷹工場」と名づけられました。

愛鷹工場は、それまで東京工場で生産していた棒状体温計、平型体温計の生産を開始し、やがて体温計加工工程のすべてが移管されていきました。

広大、雄大な富士山を仰ぎ、また富士山に見守られながら、テルモの工場で働くアソシエイトたちは仕事に打ち込んでいるというわけです。

 

このページの先頭へ

前の記事へ

次の記事へ