TERUMO STORY エピソードで綴るテルモの歴史 SINCE1921

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「もったいない」から安全へ
───ディスポーザブル医療器の誕生

ディスポーザブルシリンジの雑誌広告(1969年) ディスポーザブルシリンジの雑誌広告(1969年)

いちはやくディスポーザブル化の動きをキャッチ

「テルモはなぜ1回で捨てるの?」───そう問いかける広告があります。

注射器を1回で捨てるのは、決して無駄使いやぜいたくではないこと、感染の危険を除去し、安全性を追求してかけがえのない信頼を得るためのものであることを訴えたものです。今では当り前のディスポーザブルの注射器ですが、日本では未開拓分野への挑戦ということもあり、その普及にあたってはさまざまな壁がありました。

1958年9月、渡米した戸澤常務がキャッチしたのが、やがてディスポーザブル医療器の時代が来るという情報でした。経済的な制約から、先進的な病院であっても同じ注射器を何回も使用していた時代です。しかし、感染症を防ぎ、医療の安全性を追求するためには、ディスポーザブル医療器は必要不可欠です。体温器メーカーから総合医療器メーカーへと脱皮しようとするテルモにとっても、ディスポーザブル医療器の開発は大きなチャレンジでした。

新たな滅菌法、最適な包材の開発に成功

ディスポーザブルの注射器開発という未知の分野に取り組むためには、いくつもの課題がありました。最大の課題は滅菌法です。高熱で行う従来の蒸気滅菌や乾熱滅菌は、耐熱性の低いプラスチックには使用できません。ガスを通すけれど、菌は通さない包材の開発も必要です。独自に研究を進め、海外の調査機関や専門家のアドバイスを求めて、1962年に日本で初めてエチレンオキサイドガス滅菌法の実用化に成功しました。

こうしてディスポーザブルシリンジの発売にこぎつけたのは、1963年1月のことです。当初は国内市場への普及は難しいと判断し、アメリカに輸出しました。しかし、ニューヨークの倉庫に陸揚げ後、湿気や潮風などの過酷な条件下に長期間放置された結果、商品の包装が一部はがれ、FDAから滅菌不良の疑いを指摘されました。注射針をすべて回収し、廃棄をせざるをえませんでした。二度とこうした事故を起こさないために、接着剤を使わないブリスター包装を新たに開発。数々の苦労を乗り越え、ようやく国際的にも誇れるディスポ製品を送り出す体制が整いました。

発売当初のディスポーザブル注射筒とメタル針 発売当初のディスポーザブル注射筒とメタル針

患者のために。ディスポーザブル製品普及への苦闘

しかし、日本では「もったいない」の気持ちが強く、普及は遅々として進みません。よいことはわかっていても、経済的な問題も大きかったのです。発足まもない営業部の社員たちは、「ディスポーザブル医療器こそ、安全性のために不可欠」という信念でたゆまぬ営業努力を続けました。

会社を信じ、ディスポを信じ、先駆者の誇りとともに、「患者のために」という気概で病院をまわったのです。ガス爆発の事故現場に届けるために、倉庫にある商品をパトカーに先導してもらい対向車線を突っ走って届けたとか、災害地での救援活動で使うために、水害であふれかえった水につかりながら商品を頭に乗せて運んだなど数々のエピソードが残っています。次第に緊急用、災害用にはディスポ製品でなければという意識が育ち、1970年ごろにはようやく大病院で採用されるようになり、普及が進んでいきました。

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