TERUMO STORY エピソードで綴るテルモの歴史 SINCE1921

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職人芸からの脱皮
───良質な体温計を大量に生産する技術への挑戦

勘と職人技が体温計のガラス管づくりを支えていた

ガラス製管手引き作業 ガラス製管手引き作業

日本人は手先が器用で、辛抱強く、モノづくりに長けているといわれています。日光東照宮の「眠り猫」を彫った左甚五郎をはじめ、多くの名工が輩出しています。こうしたすぐれた職人技は、工芸の世界だけでなく、産業の現場でも生かされてきました。テルモの体温計のガラス管の生産にも長い間、その職人技が使われていました。

古くから水銀体温計の毛細管(細芯)や留点部(丸芯)などのガラス管づくりは、図のように窯で溶かした熱いガラス種を鉄の棒(吹き棒)で巻き取り、工員(駆屋)がガラス種の柔軟性に応じて、緩急のスピードをつけて50~60メートルも走って、ガラスの細い管をつくってきました。当時、駆屋をした社員は「私はマラソンランナーになれる」と笑いながら語ったそうです。ガラス種の柔らかさに応じてどのくらいの速さで走ればいいのかなど、勘と職人技の世界だったのです。こうした職人技・匠の技が長い間、テルモの体温計づくりを支えてきました。

しかし、この方法では、形や寸法、ガラス管の内径などのばらつきが生まれ、大量に生産することができませんでした。

 

駆屋 駆屋

試行錯誤の約5年の歳月、自動製管によるガラス管の生産に成功

「良質のガラス管を大量に生産する技術を開発しなければ、体温計を近代的な産業に発展させることは難しい」。こう考えたテルモは、職人の手技による生産方法から、自動製管による近代的生産方式に切り替えるための研究を始めました。

自動製管装置は、図のように原料を投入し、それを溶解槽で熔融、さらに清澄した後、成形します。そして下から空気を吹き込みながら上に引き上げられるシステムです。

しかし、自動製管はなかなかうまくいきませんでした。引いても、引いても、上質のガラス管ができません。こうしたなかで、問題点を洗いだす作業が社員によって連日続けられました。そして、原料の投入量とガラスの引き上げ量のバランスにより、熔融ガラスのレベルが変動し、本来引き上げてはならない炉材がいっしょに引き上げられてしまい、上質のガラス管ができないことなどが解明されていったのです。

開発に着手してから約5年の歳月を経て、1965(昭和40)年、ついに自動製管による良質なガラス管づくりに成功しました。これによって、良質なガラス管を大量に生産する技術が誕生、テルモは、本格的な水銀体温計生産の時代に入っていったのです。

 

自動製管システム 自動製管システム

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