TERUMO STORY エピソードで綴るテルモの歴史 SINCE1921

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土蔵に眠っていた37万本余り体温計の半蔵品
───戦争の灰燼を乗り越えて

1枚の写真の物語るもの

昭和22年2月、奇跡的に残った土蔵 昭和22年2月、奇跡的に残った土蔵

1枚の写真が残っています。それは、第2次世界大戦が終結した2年後、1947(昭和22)年に写されたモノクロ写真です。1本の木の向こうに土蔵と木造の建物が見え、戦後の焼土の名残りを感じさせる写真です。

この写真が撮影された日から2年ほど前、東京は米国機による大空襲を受けました。このとき、テルモの幡ヶ谷工場も被災していますが、その模様がテルモの「第30回営業報告書」に記録されています。

「昭和20年5月25日午後1時頃より行われたる米国機の帝都空襲は、26日午前2時頃に至り、遂に我が構内各所並びに第3工舎に数発の焼夷弾直撃を蒙り、ただちに火を発し……」

テルモの従業員は必死になって防火に努めましたが、折からの強風にあおられ、工場一帯が火の海と化したと続けられています。この空襲により、本社工場の建物、・設備・原材料のすべてを失ってしまいました。

しかし、一つだけ奇跡的に空襲の被害から免れたものがありました。それが残された1枚の写真に写っている広さ5坪ほどの土蔵だったのです。土蔵を開けてみるとそこには、テルモの半製品の体温計約37万本が焼けることなく眠っていたのです。体温計のガラスが経年変化で収縮するため、土蔵の中に寝かせておいたものでした。

すべてが失われたかに思われた中にあって、土蔵の中の半製品の商品は唯一の希望であり、再起に向けてテルモを救済したものだったのです。

残った体温計の半製品はテルモの希望

被災した後、新たな空襲や本土決戦の恐怖に耐えながら、テルモの従業員たちはこの半製品を仕上げるための準備に取り掛かっていきました。保険金の一部の支払いを受け、ガラス工場、仮事務所、倉庫などを建設していきました。そんな中、1945年8月15日、第二次世界大戦は終戦を迎えたのでした。

そして戦後。テルモの復興には、いくつかの幸運がありました。ひとつは、従業員に死傷者がでず、熟練した技術者や工員が確保できたこと、そしてもうひとつ、焼け残った土蔵に残された約37万本の半製品の体温計でした。戦災で多くの体温計が失われ、国民、医療関係者からの体温計の需要が旺盛だったこともあり、この半製品を仕上げるなどして、再生への第一歩を踏み出すことができたのです。

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