TERUMO STORY エピソードで綴るテルモの歴史 SINCE1921

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テルモの製品がアメリカで認められた日
───昭和初期の体温計輸出事情

米ディキンソン社と特許権譲渡契約を結ぶ

ベクトン・ディッキンソン社との特許権譲渡契約書 ベクトン・ディキンソン社との特許権譲渡契約書

いま、テルモの製品は、アメリカ、ヨーロッパはもとより、中国・アジア、中南米諸国など世界各国に輸出されています。しかし、当たり前のことですが、最初からテルモの製品が現在のように世界各国に輸出されていたわけではありません。

昭和初期、日本から海外に向けての体温計の輸出は苦戦していました。当時わが国は、体温計を重要な輸出製品として考え、輸出奨励策をとっていたのですが、当時国内で生産されていた体温計は、品質が悪いものも多く、海外からの評価を落としてしまっていたのです。

そのなかで、テルモの赤線入棒状体温計は、品質がよいと高い評判をうけるようになりました。赤線入棒状体温計に続いて姉妹品の青線入棒状体温計、黄芯平型、さらには病院専用丸管体温計を開発、着々と技術革新を進めていったのです。

こうしたテルモの体温計製造技術は、米国の企業からも注目を集めるようになり、米国ベクトン・ディキンソン社から特許の実施権を与えてほしいと申し出がありました。ここに掲載した写真は、テルモが1929(昭和4)年、同社と交わした「特許権譲渡契約書」で、いわば、テルモの技術が世界の一流品として認められた証明ともいえるでしょう。

世界大恐慌後、輸出に注力、年間18万本の体温計を輸出

この1929年は、アメリカに始まった大恐慌が世界に広がった年でもありました。日本ももちろん例外ではなく、銀行の倒産も相次ぐなど国内の経済は危機的な状況に陥っていました。テルモの体温計も不況下で売れ行き不振を余儀なくされました。その上、当時の国内体温計市場は生産過剰の状態で、テルモも参加していた日本体温計工業組合は各業者の実績をベースに一定の割合で減産するように決めたのでした。

ただ、こうした取り決めは国内の民生品だけに限られていて、軍需製品と輸出製品は例外でした。テルモは、ベクトン・ディキンソン社への特許権譲渡を皮切りに、国内での売れ行き不振をカバーする意味を含めて、輸出に力を注ぎました。

こうした努力が実って、テルモの体温計の輸出量は、1932(昭和7)年度に初めて1万本の大台を突破しました。さらに世界でその品質の良さが高く評価されて、翌年には2万2000本、翌々年には3万7000本、そして1935年には18万7000本にも達し、輸出国もアメリカをはじめとして54カ国にのぼりました。

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