多くの製品が「テルモ」の商標で販売されていて、「医療機器のテルモ」としての認知が進んでいたことも踏まえ、社名を変更。
これより先は、日本国外のテルモグループのサイトに移動します。
日本では承認されていない医療機器等の製品情報が掲載されています。
日本国内の医療従事者の皆様は、以下「医療従事者の皆様向け情報」のサイトをご覧ください。
TERUMO 100th HISTORY
1921
赤線検温器株式会社を設立
テルモは、第一次世界大戦の影響で輸入が途絶えた良質な体温計を国産化するために、北里柴三郎博士をはじめとする医師らが発起人となり、赤線検温器株式会社という商号で1921年に設立されました。
1936
仁丹体温計株式会社に商号変更
体温計の販売元の仁丹本舗が、1922年に新聞紙上で製品のネーミングを募集。このときに決まった「仁丹の体温計」という名称が一般に広く普及していたことから、社名も「仁丹体温計株式会社」と変更。
1980
テルフュージョン輸液ポンプ「STC-502」を発売(日本)
STC-12を1977年に発売後、開発を進め日本初のペリスタティックフィンガーポンプとして発売。
1980
高カロリー輸液用基本液「ハイカリック液1号/2号」を発売(日本)
1982
多孔質ホローファイバー型人工肺「キャピオックスII」を発売(日本)
1982
針植え込み式インスリン用シリンジを発売(日本)
1983
テルフュージョンシリンジポンプ「STC-521」を発売(日本)
1983
甲府工場を設立
ディスポ―ザブル医療機器の専門工場として操業開始。
1983
予測式電子体温計(病院用)発売、水銀式体温計の生産を終了(1984)
1985
血管造影用カテーテルシステムを発売(日本)、心臓血管カテーテル治療分野に進出
1986
ホームヘルスケア分野に進出
1988
腹膜透析システムを発売(日本)し、在宅医療分野に進出
腹腔内に入れた透析液で血中の老廃物を除去する腹膜透析製品を開発。自宅で透析が行えることから、患者さんの生活の質を高めることに大きく貢献しました。
1989
神奈川県足柄上郡中井町に研究開発センターを含む湘南センターを開設
分散していた研究部門を集約。研究開発の効率化を図り、新分野を開拓。世界で戦える技術力の向上と人財の育成を目指しました。
1989
世界初の消化態栄養剤「エンテルード」を発売(日本)
1989
プラスチック製真空採血システム「ベノジェクトII」を発売(日本)
1992
腹膜透析システム「キャプディール」ツインバッグシステムを発売(日本)
1992
病院用電子血圧計「ミニーノ」を発売(日本)
1993
血糖測定システム「メディエース」を発売(日本)
簡単に使える血糖測定器と穿刺具、測定チップを開発。
1994
無菌接合装置「キャプディールTSCD」を発売(日本)
1995
中国 浙江省杭州市に工場 泰尔茂医療産品(杭州)有限公司を設立
1995
経皮的補助循環システム「キャピオックスEBS」を発売(日本)
1995
PTCAバルーンカテーテル「ステノフォーカスNT」を発売(日本)
狭くなったり閉塞した心臓の冠動脈に通して治療するカテーテルを開発。
1995
高カロリー栄養食「テルミール2.0」を発売(日本)
「少量でおいしくしっかり栄養」がコンセプトの1mL=2kcalの栄養食品。
1996
TRI(手首の動脈を介したカテーテル治療)を支援開始
TRI用製品の開発を進めるとともにトレーニング機会を設けTRIの普及を支援。
1997
血糖測定システム「メディセーフ」発売
1998
生産拠点・テルモフィリピンズ社を設立
1998
独バイヤスドルフ社との合弁会社テルモ・バイヤスドルフ株式会社(現:テルモBSN社)を設立
1998
成分採血装置「テルシス」を発売(日本)
1998
「K-Pack II 注射針」を開発、製薬企業向けキットビジネス開始(欧州)
製薬会社の医薬品にテルモの注射針を同梱。
2000
日本初 中性腹膜透析液を発売
2000
クローズド輸液システム「シュアプラグ」を発売(日本)
2001
腕帯を巻かずに測定できる腕挿入式の家庭用電子血圧計「アームイン血圧計」を発売(日本)
2001
自動腹膜透析装置「マイホームぴこ」を発売(日本)
2002
テルモメディカルプラネックスを設立
2002
人工血管の製造販売会社である英国バスクテック社がテルモグループへ
2003
米国に補助人工心臓開発拠点 テルモハート社を設立
2003
高カロリー輸液用総合ビタミン・糖・アミノ酸・電解質液「フルカリック1号/2号/3号輸液」を発売(日本)
2003
橈骨動脈用止血器「TR バンド」を発売(日本)
2003
プレフィルドシリンジ(薬剤充填済み注射器)製剤を発売(日本)、製薬会社のニーズに応える開発製造受託が本格始動
医薬品と医療機器を融合させ、新たな価値を生み出す薬剤充填用注射器を提供。
2003
人工心肺システム「System1」を発売
開胸手術時に、心臓に代わって全身の血液を体外で循環。
2003
コロナリー用ガイドワイヤーを発売(日本)
テルモ初のコイルとNi-Tiシャフトを採用したワイヤー。
2005
腹部大動脈用ステントグラフト「Anaconda」CEマークを取得
2005
ペン型注入器用ディスポーザブル注射針「ナノパスニードル」(ナノパス33)を発売(日本)
インスリン等の医薬品を定期的に自己投与する必要のある患者さんが使用する針。2005年グッドデザイン大賞を受賞。
2005
半固形流動食「PGソフト」を発売(日本)
2006
脳血管内治療デバイスの製造販売会社である米国マイクロベンション社がテルモグループへ
2006
ベトナムに生産拠点 テルモベトナム社を設立
2006
米国でカテーテル自販開始(現地事業部設立)
2006
誤投与防止機能を付した混注専用プレフィルドシリンジ(薬剤充填済み注射器)を発売(日本)
2007
埋込み型左心補助人工心臓を発売(欧州)
心臓移植適応の重症心不全患者さんに心臓移植までの循環改善に使用される人工心臓。2013年に米国ソラテック社と戦略的提携して開発を移管。
2007
末梢動脈疾患用ステント「Misago」を発売(欧州)
2007
とろみ流動食「F2ショット」を発売(日本)
2007
ウェブサイト「テルモ体温研究所」開設
体温に関するさまざまな情報を発信。
2008
株式会社クリニカル・サプライがテルモグループへ
血管造影カテーテルやマイクロカテーテルなど、放射線科領域の製品を展開。肝臓の診断/治療分野を強化。
2008
消化態流動食「ペプチーノ」を発売(日本)
2008
薬剤溶出型冠動脈ステント(DES)「Nobori」を発売(欧州)
2008
血液自動遠心分離装置「TACSI」を発売(欧州)
献血などで採取された血液を、遠心力を用いて各血液成分に自動で分離する装置。輸血などで必要な血液製剤をつくるプロセスの効率化に寄与。
2008
人工肺「キャピオックスFX」を発売(日本)
動脈フィルター一体型の人工肺。
2008
血管内超音波診断装置(IVUS)「VISIWAVE」を発売(日本)
2008
カテーテルガイドワイヤー「Chaperon」、「Traxcess」、アクセスマイクロカテーテル「Headway」を発売
頭部血管病変にアクセスするためのデバイスを提供開始。
2009
協和発酵キリン株式会社(現 協和キリン株式会社)からシリンジデザインを共同開発した持続型赤血球造血刺激因子製剤を発売(日本)
可動式ルアーロックアダプタの採用で機能性を高めると共に、識別性の向上を図った。
2009
GOJO社手指消毒剤「ピュレル」を発売(日本)
2010
テルモアメリカスホールディング社を設立
2010
抗がん剤投与システム「ケモセーフ」を発売(日本)
2011
血液・細胞テクノロジー分野の世界的企業である米国カリディアンBCT社がテルモグループへ
2011
ハーベスト・テクノロジーズ社がテルモグループへ
遠心分離の高い技術を活用し、短時間で患者さん自身の血液や骨髄から必要な成分を分離・採取する製品を開発。
2011
泰尔茂(中国)投資有限公司を設立
2011
テルモアジアホールディングス社を設立
2011
生産拠点テルモ山口株式会社を設立
カテーテル領域の需要拡大に伴い、生産体制強化に向け設立。BCPの観点から、これまで東日本に集中していた工場を初めて西日本にも分散。
2011
コイルアシストステント「LVIS」を発売(欧州)
2012
国連グローバルコンパクトに参加
2012
威高泰尔茂(威海)医療製品有限公司を設立
中国威高(ウェイガオ)社と腹膜事業における戦略的提携に関する基本契約を締結。
2012
血管内画像診断装置(OFDI)「ルナウェーブ」を発売(欧州)
2012
スマートポンプ「LM700・800」、「SS700・800」シリーズを発売(日本・アジア・欧州・中南米)
院内ITと連携可能な輸液投与システム。
2012
胸部用オープンステントグラフト「Thoraflex Hybrid」を発売(欧州)
2012
未開通防止機構付き輸液バッグを展開(日本)
2013
Terumo Patient's Dayを開始
私たちのすべての仕事が患者さんのためにあるという想いを共有し、モチベーションにつなげるため、毎年グローバルでイベントを実施。
2013
テルモヨーロッパ社において、製薬企業の医薬品にテルモの注射針を同梱するキットビジネスの独立したビジネスユニットを発足
2013
通信機能付バイタルサイン測定機器シリーズ「HRジョイント」を発売(日本)
医療現場の効率化、タイムリーなデータ共有の実現を目指し開発。
2013
日本初 解熱鎮痛剤アセトアミノフェン静注液を発売
2013
脳動脈瘤治療用ステント「FRED」を発売(欧州)
2014
グループロゴを改定
2014
米国にR&D拠点 テルモメディカルイノベーション社を設立
2014
頸動脈用ステント「CASPER」、液体塞栓システム「PHIL」を発売(欧州)
2014
薬剤溶出型冠動脈ステント(DES)「Ultimaster」を発売(欧州)
テルモ初の完全自社開発の薬剤溶出型冠動脈ステント。
2014
粘度可変型流動食「マーメッド」を発売(日本)
2014
クローズド輸液システム「シュアプラグAD」を発売(日本)
2014
世界初 中性化されたイコデキストリン含有腹膜透析液を発売(日本)
2015
テルモ山口D&D株式会社を設立
医薬品と医療機器を組み合わせた製品であるドラッグ&デバイス製品を生産。
2015
体外循環装置用遠心ポンプ駆動装置「キャピオックス遠心ポンプコントローラー SP-200」(NEO)を発売(日本)
2015
脳梗塞治療用血栓吸引カテーテル「SOFIA PLUS」を発売(欧州)
2016
脳動脈瘤用塞栓デバイスを開発する米国シークエントメディカル社がテルモグループへ
2016
袋状塞栓デバイス「Woven EndoBridgeデバイス」を脳動脈瘤治療ラインアップに追加(欧州)
2016
重症心不全治療用の再生医療等製品として、ヒト(自己)骨格筋由来細胞シートを発売(日本)
2017
米国アボットラボラトリーズ社から血管内治療用の止血デバイス等の事業を譲受
止血デバイス「アンジオシール」を承継。穿刺から止血まで一連の血管アクセス製品をラインアップ。
2017
大動脈疾患治療用ステントグラフトの製造販売会社である米国ボルトンメディカル社がテルモグループへ
2017
米国ゼネックス社の紫外線照射ロボット「ライトストライク」を発売(日本・アジア)
2017
日本初 スプレー式癒着防止材を発売
処置部位に噴霧し、術後癒着を予防。2019年小容量品を発売。
2017
超高濃度栄養食「アップリード」を発売(日本)
少量でありながら高いエネルギーと炭水化物、脂質、たんぱく質、ビタミン、ミネラルなどのさまざまな栄養素をバランスよく配合。
2017
閉鎖式薬物移送システム(CSTD) 「ケモセーフロック」を発売(日本)
2018
甲府医薬品工場がFDAからプレミックス製剤に関するGMP適合の認定を取得。米国向け製品で初。
2018
胸部大動脈用ステントグラフト「RelayPro」を発売(欧州)
2018
パッチ式インスリンポンプ「メディセーフウィズ」を発売(日本)
2018
体外循環用血液ガス分析装置「CDI550」を発売
2018
薬剤充填用注射器「PLAJEX」採用のバイオシミラー、欧州で市場導入
2019
中国エッセン・テクノロジー社がテルモグループへ
中国の薬剤溶出型冠動脈ステント(DES)市場に参入。
2019
企業理念体系を整備 社員共通の価値観「コアバリューズ」を新設
2019
米国アオルティカ社がテルモグループへ
一人ひとりの患者さんに合わせたステントグラフトを製造。
2019
持続血糖測定器「Dexcom G4 PLATINUMシステム」を発売(日本)
米国デクスコム社の持続血糖測定器をテルモが日本で独占販売。血糖の変動傾向を掴むことで糖尿病患者さんの血糖管理をサポート。
2019
ペン型注入器用ディスポーザブル注射針「ナノパスニードルⅡ」(ナノパスJr.)を発売(日本)
2019
腹膜透析液手動式交換システム「クリックセーフ」を発売(日本)
腹膜透析液の入ったバッグと留置カテーテルを接続し、腹膜透析液の注入又は排出を行うための器具。
2019
超高濃度栄養食「アップリードmini」を発売(日本)
飲みきりやすい50mLで200kcalの栄養食品。
2019
充填・仕上げシステム「FINIA」を発売
2020
オランダ クイレム・メディカル社がテルモグループへ
カテーテルを通して肝動脈に運ばれ、放射線でがん細胞を攻撃する放射線放出ビーズなどを開発。
2020
薬剤充填用注射器「PLAJEX」採用のバイオシミラーが米国で製造販売承認を取得。「PLAJEX」として初めて日欧米三極での製造販売承認を取得。
2020
イギリスとイタリアで初のカスタム Thoraflex Hybrid の埋め込み
01
体温計の時代
1921
赤線検温器株式会社を設立
テルモは、第一次世界大戦の影響で輸入が途絶えた良質な体温計を国産化するために、北里柴三郎博士をはじめとする医師らが発起人となり、赤線検温器株式会社という商号で1921年に設立されました。
02
感染防止への取り組み
1963
日本初の単回使用の注射器を発売
「テルモはなぜ1回で捨てるの?」
───そう問いかける広告があります。
注射器を1回で捨てるのは、決して無駄使いやぜいたくではないこと、感染の危険性を減らし、安全性を追求して注射を受ける人の生命や健康を守るためであることを訴えたものです。今では当たり前の単回使用の注射器ですが、日本では未開拓分野への挑戦ということもあり、その普及にあたってはさまざまな壁がありました。
1958年、体温計メーカーから総合医療機器メーカーへの脱皮を目指し、感染症対策に効果的な単回使用の注射器の開発を開始。耐熱性の低いプラスチックの滅菌が可能な新たな低温ガス滅菌法、ガスを通し、菌を通さない包装材の開発なども行い、1963年に発売。当初は「もったいない」意識から普及が遅れるも、1970年頃から大病院でも導入され、普及が進んでいきました。
02
感染防止への取り組み
1969
日本初の血液保存液入り血液バッグを発売
1940年代後半から1950年代にかけて、輸血が必要な患者さんには、血液型の合う家族や親族から血液を注射器で採取し、それを患者さんに直接輸血していました。このことを「枕元輸血」といい、当時は一般的な輸血方法でした。しかし、枕元輸血では血液型が合う人が少ないことや感染症をチェックできないことから、献血によって集めた血液を保存しておき輸血する方法へと次第に変わっていきました。また、輸血する際に、全血液を輸血するのではなく、治療の目的に応じて、赤血球、血小板、血漿などの血液成分ごとに輸血する、「成分輸血」が主流になりました。
輸血用の血液は、長い間ガラス製の採血瓶に保存されてきました。しかし、ガラス瓶では、輸血する時に瓶内に空気を入れるためのエアー針(通気針)を必要とすることから、血液が汚染される可能性が高くなるなどの問題がありました。アメリカでは日本に先んじてエアー針が不要なプラスチック製の血液バッグが開発されていたこともあり、テルモは、日本の医師からの「血液バッグを使いたい」という要望に応えるため、その開発を大きなテーマに掲げました。
血液バッグの開発は試行錯誤の連続でしたが、1969年に日本で初めての血液保存液入り血液バッグを発売することができました。この製品は、テルモにとって初めての医薬品でもありました。 血液バッグは、採血、成分分離、輸血のいずれの段階でも外気に触れることがないクローズドシステムであるため、空気感染による感染のおそれがないこと、遠心分離によって血液成分を容易に分離できること、プラスチックバッグのため、酸素が通りやすく、赤血球や血小板の保存に優れているなどの特長がありました。
02
感染防止への取り組み
1971
米国にテルモアメリカ社、ベルギーにテルモヨーロッパ社を設立、海外事業に進出
【テルモアメリカ】
1971年4月、テルモの真空採血器を輸入して販売していたユニポン社の営業権を譲り受け、カリフォルニア州コンプトン市にテルモアメリカ社を現地法人として設立しました。資本金は20万ドル、延べ床面積2200平方メートルの倉庫付きの事務所を借り、テルモ本社からの出向3人、現地スタッフ12人の計15人でスタートしました。しかし、ユニポン社から継承した販売網は、カリフォルニアを中心とした地域に限定されていたこと、強力なアメリカのメーカーが行く手に立ちふさがっていたことなどから、思うように売上が伸びていきません。当時はアメリカに拠点を置いて販売活動を行う日本メーカーは少なく、医療機器分野ではテルモが初めてでした。テルモの知名度も低く、日本の医療機器への信頼もまだまだの状態だったのです。代理店探しも難航し、大手の代理店はテルモ製品の販売を引き受けてくれない状態でした。
それでも、テルモアメリカ社の社員たちは、代理店のもとに足を運び、粘り強くテルモ製品の良さをアピール、説得していきました。やがて、大手の代理店との取引もできるようになり、また大都市を中心に、営業メンバーを配置するなど懸命な努力を続けていきました。それらが実り、1973年度の売り上げは前年度の2倍にまで伸び、テルモアメリカ社の社員は自信をつけていきました。
【テルモヨーロッパ】
1971年5月、テルモヨーロッパ社がベルギーのブリュッセル市に設立されました。日本人3人、現地スタッフが6人の合計9人でスタートしました。
テルモはなぜその時期にヨーロッパに拠点を築こうとしたのでしょうか。当時、テルモは日本では体温計のトップメーカーとしての地位を築き、さらにディスポーザブル医療機器分野にも進出、富士宮工場や愛鷹工場に大型の設備投資を行って生産体制を充実させるなど、成長路線を順調に歩んでいました。
テルモの海外展開は「医療は世界共通のかけがえのないものであり、ディスポーザブル医療機器を通じて広く世界の医療に貢献したい」という思いからスタートしました。同時に、その頃の日本は長く続いた好景気も陰りがさし、国内販売だけでは企業の成長にも限界があるという背景もあったのです。テルモヨーロッパ社を足がかりにして、その後、1973年にテルモイタリア社、テルモフランス社を、さらに74年に北欧の拠点としてスウェーデンに駐在員事務所を設置、75年にはテルモドイツ社が設立されるなど、拡大していきました。
03
医療の進化と共に
1977
ホローファイバー型ダイアライザーを発売(日本)
1977年、人工透析に用いられるダイアライザー(人工腎臓)を発売し、患者さんの生命活動補助や臓器の代替をする人工臓器分野に進出しました。
当時主流であったコルフ型(コイル型)、キール型(積層型)に比べて、透析効率の面で最も優れるホローファイバー(中空糸)型を選択。生産技術などに関する課題を乗り越えて製品化に至りました。そして、1978年には体外循環用血液回路、1979年には透析用監視装置を発売し、人工透析分野でのシステム化を拡充していきました。
このホローファイバー型ダイアライザーで培った技術は、後のホローファイバー型人工肺の開発の礎となりました。
*ダイアライザー事業は、2002年に旭メディカル株式会社に譲渡されました。
03
医療の進化と共に
1982
多孔質ホローファイバー型人工肺「キャピオックスII」を発売(日本)
心筋梗塞、狭心症、弁膜症などの心臓病や血管の病気などの手術をする場合、心臓を止めなければなりません。手術の間、患者さんの生命の維持に必要になるのが、血液を体外で循環させながら酸素などのガス交換を行う人工肺システムです。
テルモはホローファイバー(中空糸)型の人工肺の開発に成功し、1982年キャピオックスIIの販売を開始しました。
人工肺中空糸膜は、ガス交換機能を有する膜で疎水性のポリプロピレン製の素材でできています。その中空糸膜には多数の小さな孔が空いています。この小さな孔は、血液は通過せず、ガスだけを通過させるので、中空糸膜の内側に血液を流し、外側に酸素ガスを通過させることでガス交換を行う仕掛けになっていました(1987年発売の改良品「キャピオックスE」以降の人工肺は内側に酸素ガス、外側に血液が流れる構造)。
テルモでは、すでにダイアライザー(人工腎臓)に中空糸膜を使っていましたが、人工肺に使うとなると、血液の流れる量が段違いに多く、また、生命に直結した製品であるだけに、高度な医療技術を学ぶことが必要でした。研究を積み重ね、やっと試作品の製作にこぎつけ、日本の病院のみならず心臓外科の先進地域である、アメリカのクリーブランド・クリニックでも高い評価を得ることができました。こうして、世界初の中空糸型人工肺が誕生したのです。
03
医療の進化と共に
1983
予測式電子体温計(病院用)発売、水銀式体温計の生産を終了(1984)
1984年、ある製品の生産が終了しました。その製品は水銀体温計。1921年に生産を開始し、第二次世界大戦の期間中も、戦後の混乱期にも、全社員が心血を注いで作り続けた製品でした。60年以上にわたって作り続けられた水銀体温計は、まさにテルモの原点でした。テルモは水銀体温計を通じて、経営、生産、販売、技術などあらゆるものを学んできたのです。
そんなテルモにとって大きな財産であった水銀体温計の生産終了に踏み切ったのは、水銀が環境に影響を及ぼすリスクからでした。体温計に使われる無機水銀は、有機水銀よりも毒性は低いものの、有害物質であることにかわりはありません。病院などでも体温計が間違って床に落ちてしまったりすると、水銀が流れ出ることもあり、医師の間からも水銀体温計の安全性を問う声が上がるようになったのです。
テルモは、水銀を使わないより安全な体温計を目指して、1980年から電子体温計の開発に取り組みました。新しい電子体温計の開発にあたっては、使い勝手や精度はガラス体温計に匹敵し、同時に電子化のメリットを加えることを基本としました。さらに重要なポイントに掲げたのは「短時間で正確に測れること」でした。
水銀体温計を使って腋下(ワキの下)で体温を測ると、10分ほどでこれ以上上昇しない温度に達し、一定の温度を保ちます。この温度のことを平衡温といい、電子体温計では、検温を始めてからの温度上昇のデータによってこの平衡温を予測し、短時間で正確に測ろうとしたのです。
そのためには、精度の高い平衡温の予測法を確立することが重要で、非常に小さな専用LSI(大規模集積回路)の開発が必要でした。また消毒できるようにするためには防水設計が必要となるなど多くの課題がありました。これらの課題を解決し、さらに大量生産体制を確立して、1983年12月に病院用が、翌年2月に一般家庭用が発売されました。この電子体温計の誕生を見届けるようにして、1985年に水銀体温計はその歴史の幕を閉じたのでした。
03
医療の進化と共に
1985
血管造影用カテーテルシステムを発売(日本)、心臓血管カテーテル治療分野に進出
テルモが血管造影用カテーテルの開発に着手したのは1979年のことでした。これは血管内にカテーテルを挿入し、心臓や脳などの疾患部の近くに造影剤を流しエックス線で撮影するもので、臓器の診断に大きな力を発揮するものです。
開発は試行錯誤の連続でした。最も困難だったのは、曲がりくねった血管や複雑な岐路を通って、カテーテルを目的の場所まで運ぶガイドワイヤーでした。素材や構造を研究し尽くして、1985年、ついに水にぬれるとヌルヌル滑る親水性ポリマーコートを使った新しいガイドワイヤーを開発しました。この商品はアメリカで販売され、医師のみならずカテーテルメーカーからも評価を受けました。
03
医療の進化と共に
1986
ホームヘルスケア分野に進出
1980年代、日本は社会の高齢化が進むとともに、医療費が増大し、国家財政に大きな影響を及ぼすようになりました。国では病気になってから治療するのではなく、病気の予防に力を入れることによって医療費を抑制する政策を打ち出しました。
テルモはそれまで医療機関を対象にした製品を主流にしてきましたが、こうした時代の流れに呼応して、1980年代半ばに健康管理分野の製品を開発し、国民の病気予防に貢献する方針を打ち出したのです。
私たちの食生活が豊かになり、運動不足の人が増えるに従って、生活習慣病のひとつである糖尿病が国民病として注目されるようになりました。糖尿病の予防には、食生活や運動不足を改善すると同時に、普段から血糖値をチェックすることが重要です。
テルモは、1980年代の初頭から尿試験紙の開発を進めてきましたが、開発のプロセスでさまざまな問題に直面しました。その最大の問題は、国民の食生活が豊かになりビタミンを豊富に摂ることによって起きるものでした。尿試験紙は、尿に含まれるブドウ糖の量に応じた発色で判定するものですが、ビタミンCがその発色に影響を与えてしまうのです。どうしたらビタミンCがブドウ糖の量の測定を邪魔しないようにできるか研究開発を続け、1986年、家庭向けの尿糖検査薬「ウリエースGa」の発売にこぎ着けました。
また、私たちの健康のバロメーターのひとつが血圧です。高血圧をそのままにしておくと動脈硬化を起こし、心臓病や脳卒中などを誘発してしまいます。医療機関用の医療機器のノウハウを生かして、高い精度で、しかも簡便に血圧を測れる家庭用の電子血圧計という開発目標を設定すると、スタッフは技術力を結集。1988年10月、必要以上にカフ(腕帯)に加圧せずに計測できる、家庭用電子血圧計を市場に送り出すことができました。 以来、テルモの家庭用電子血圧計は、さまざまに進化を遂げ、家庭での健康管理に役立っています。
03
医療の進化と共に
1995
経皮的補助循環システム「キャピオックスEBS」を発売(日本)
2001年2月、北海道の紋別空港から、重症の心臓疾患で倒れた患者さんを乗せた飛行機が飛び立ちました。心不全の状態で病院に運び込まれた患者さんには、心臓と肺の機能を体外で代行するPCPS(経皮的補助循環システム)がつけられていました。その人工心肺は1995年にテルモが開発・販売した「キャピオックスEBS」だったのです。
飛行機は重症の心不全患者を手術できる大学病院に向けて飛行していきました。
北海道内でPCPSをつけた患者さんを飛行機で運んだのはこれが初めてのことです。患者さんと共に空を飛んだキャピオックスEBSは、地元の新聞にも「航空機用い、道内初 人工心肺付けた患者搬送」と大きく報じられました。
テルモが、米国クリ―ブランド・クリニックのDr. Floyd
Loopから依頼されて、PCPSの開発を本格的に手がけたのは1989年のことでした。開発にあたっては、Quick(5分以内でセットアップ可能)、Compact(救急車に搭載可能)、
Simple(最低必要な機能)の3つを設定して、研究開発にチャレンジしていきました。
PCPSの開発は、テルモにとって初めての経験だけに、遠心ポンプの溶血や流量計の精度などの問題が発生し、苦労の連続でした。ようやく1992年から臨床使用に入り、医師からは熱交換器、圧力計や温度計など、さまざまな要望が出てきました。
できる限り医師の要望を取り入れながら、調整、選別を繰り返し、1995年3月「キャピオックスEBS」の発売にこぎ着けたのです。この製品は、1997年の第5回日本人工臓器学会“技術賞”を受賞することができました。
04
グローバル企業への挑戦
1999
プレフィルドシリンジ(薬剤充填済注射器)を発売(日本)
「これまでのようにアンプルやバイアルに入った注射剤を注射器(シリンジ)に吸引したり、他の薬剤に配合したりしていては、薬剤の取り違えは防げない。それに注射するまでに手間もかかってしまう。なんとかならないものだろうか」。
こんな発想からある製品がテルモから誕生しました。それが初めからシリンジに薬剤を詰めておく「プレフィルドシリンジ」です。
薬剤とシリンジの融合製品、それは医療機器の技術と注射剤の製剤技術の両方を持っているテルモにとって得意技といってもよい分野でした。海外ではすでにプレフィルドシリンジは市場に出回っていましたが、その多くはガラス製でした。テルモは割れにくいことに加えて、廃棄しやすいことからプラスチック製のプレフィルドシリンジの開発を目指すことにしました。
テルモがプレフィルドシリンジ開発に力を注いでいたとき、1995年1月に阪神淡路大震災が起き、多くの病院ではガラスのアンプルが損傷するなどして、注射ができず、救急治療に支障をきたしました。阪神淡路大震災を経験した医師は、テルモのプレフィルドシリンジを見たとき、「あの震災のとき、これがあったらもっと多くの患者さんを救えたのに…」と口々におっしゃいました。
最初のプレフィルドシリンジ製品に充填する薬剤は、総合ビタミン剤、電解質、ブドウ糖などの輸液配合薬にしました。高カロリーの輸液剤を患者さんに投与するときには必ず総合ビタミン剤を補給することが必要で、また、患者さんの状態によっては電解質やブドウ糖の量を補正する場合もあります。これらをプレフィルド化しておけば、作業は簡単になり、また、間違いも起こりにくく安全性が高まります。
ただ、実際に開発するとなると、初めての試みだっただけに、開発から生産体制までさまざまな難問に突き当たりました。しかし、プレフィルドシリンジ開発に情熱を燃やしたアソシエイトの努力で、1999年12月、プレフィルドシリンジとして、高カロリー輸液用総合ビタミン剤、補正用電解質液やブドウ糖注射液シリーズを市場に出すことができたのです。 テルモはその後もさまざまなタイプのプレフィルドシリンジを世に送りだし、医療の安全性、災害時や救急時の医療に貢献し続けています。
04
グローバル企業への挑戦
2002
テルモメディカルプラネックス設立
「医療を通じて社会に貢献する」ためには、高品質で安全な製品の提供とともに、新たな医療をリードし、支える人財を育てていくことが重要です。
そのための施設が「テルモメディカルプラネックス」です。
まず2002年6月、医師や臨床工学技士を対象にカテーテル治療や心臓外科手術関連製品などの適正使用や手技習得のトレーニングルームを備えたウエスト棟がオープンしました。
その後、2007年に病院さながらの設備と最新の医療機器、各種シミュレータを備えたイースト棟を開設。手術をはじめ、医療の現場で遭遇するさまざまな場面を想定したチーム医療の訓練ができます。行政や学会と連携して医療教育の充実を図っています。
2002年のオープンから、医療従事者を中心にのべ16万人を超えるお客様が訪れています。
04
グローバル企業への挑戦
2019
企業理念体系を整備 社員共通の価値観「コアバリューズ」を新設
環境変化の中でテルモがグローバルに市場の信頼を得て、成長を続けていくための基盤として、世界中の社員をつなぐ共通の価値観である「コアバリューズ」を制定。
コアバリューズは、事業や地域を超えたグループ総合力強化の原動力であり、かつ、社員が業務の中で判断に迷ったときのガイドとなるものです。
さらに、コアバリューズの制定に合わせて、「テルモグループ行動規範」を改定。これは、全社員が高い倫理観をもって正しく行動するために守るべき行動原則を定めたものです。
テルモは、全社員がこの新企業理念体系に基づいた事業活動を行うことで、患者さんや医療従事者をはじめ、広く社会にとって価値ある企業を目指してまいります。
04
グローバル企業への挑戦
2021
100周年
この100年、テルモはさまざまな医療課題に向き合い、患者さんや医療従事者の要求に応える優れたイノベーションの創出に取り組んできました。
そしていま、医療の役割と重要性を再認識するとともに、100年前から変わらぬ「医療を通じて社会に貢献する」という企業理念への想いを新たにしています。
患者さんと医療現場のより良い未来を実現するための取り組みに終わりはありません。テルモの製品やサービスを待つ患者さんや医療従事者が、世界のどこかにいる限り。私たちは次の100年に向けて、さらに力強く前へ進み続けます。
いまのテルモ(2020年9月末現在)
社員数:26,400名 生産拠点数:32 連結子会社数:103 展開地域:世界160以上の国と地域